あなたは自分の仕事に 思い のせてますか?
仕事って、ただこなすだけっていうものなのかもしれませんけど、毎日するもんですし、楽しくやったほうがいいとおもうんですよ。
どう楽しくかというとですね。ただ面白いという話ではないんです。
仕事に付加価値を
仕事って、依頼者がいてその人のために(その人のお金で)やるものです。
依頼者が求めてるアウトプットを満たすことは当たり前です。
そこに自分の思いも添えて出してやるというものです。
中にはそういう個人的な趣を入れ込むことはしないでくれという人もいるので、そういう場合は、その人の求めるアウトプットの形で対応はしますけど、特に細かいことを言ってこない人、私の仕事のアプトプットに満足をしていただいてる依頼者に対しては、いつも私のオリジナルをプラスして仕事の結果を提出するようにしています。
依頼されてない(そこまではやってもらうつもりではなかった)という先の仕事の結果まで初回の業務アウトプットにすでに入ってる。結果を見た依頼者はどう思うでしょう。自分が考えようと思っていたのにもうそこにはそれ以上考える必要もないほどに結論が書かれているのです。依頼者がどういう顔をして、私の提出したアウトプットを見ているのか想像するとワクワクします。
そう、私は依頼者がこういうものを知りたいんだなという依頼内容のその先の求めるものを想像して依頼された仕事に対して向き合います。目的を探りながら、報告書を作成するのです。依頼者から送られてきたふわっとした案件を噛み砕き、どういうことが知りたいんだろうと想像し依頼者に代わってすぐ使えるデータにしてあげる。
少々、おせっかいみたいな感じなのかもしれませんけど、少ない情報で求めてる結果が手に入るってことはすごくありがたいことだと思うんです。言われたことだけだけやるわけじゃなく、こういうのも知りたいんじゃないか?こっちのほうがいいんじゃないか?っていろいろ考えちゃうんですよ。言われたやり方でその結果だけを出すっていうこともそれはそれでいいんですけど、本当に知りたいことはこういうことなんですよね?って依頼者に教えてあげたくなるんです。
そうすると、あの人に言えば、そこまでやってくれる。やりたいことがなんなのか?そんな細かい条件なんか指定しない、いつものあれだよあれ。やっといてってな具合になるんです。それって、いいことなのか?と思っちゃいますけど、私は一緒に仕事をして楽しいと思える人の依頼なら断りはしません。
知的依存心
基本的には、恵まれた環境にいると知的依存心がついてくると思います。
職場が恵まれたいい環境だった場合においては、知識を着実に身につけるという観点ではプラスに働きます。しかし、自分で考えて依存心をなくす という視点からするとそれは最悪の環境なのかもしれません。
職場や上司の環境に恵まれない場合、依存できる相手もいません。自分で考えないといけないのです。必然的に、考える力が身についていきます。満たされた環境では、人は着実に成長はしていきますが、その結果といえば小さくまとまりがちです。
足りてない環境の場合、最初は苦労します。自発的なアクションを取り続けることで、爆発的に考える力が伸びる可能性があります。
ただ、全員が成長するわけではありません。
恵まれない環境で育つことができる人とそうでない人には違いがあります。
それば、その状況を前向きに捉えて、自分でどうするか考え始めるか、悲観してひねくれてしまうかどうかです。 その違いではないかと思います。
< 考える力がつきやすい環境とは>
大企業 : 中小企業
伝統的企業 : 新興企業
いい上司の下 : 悪い上司の下
整った教育環境 : 未整備の教育環境
前例や手本がある : 前例や手本がない